2004年8月の独り言

1(日)くもり。台風は去っていったとさ。。

大学時代からの友人、望月稔ちゃんちの発表会にお手伝いにいきました。伴奏したのは稔ちゃんのチェロの生徒さんを5人(そのうち一人はお母さんの晴恵さん。元々はピアノだけど、最近稔ちゃんにチェロを習い始めたのです。素晴らすぃー!)、お姉さんの裕子さんのフルートの生徒さんを1人、あと賛助出演として出た稔ちゃんのチェロ、ダンナさんのもっちゃんのホルン、お姉さんの裕子さんのフルートで、計9人分。今回のお気に入りは、裕子さんが吹いたタクタキシビリのソナタの第2楽章。前々から大好きな曲だったのですが、今回久しぶりにフルートと合わせて気持ちよかった!!伴奏をしていてよかったと思う事の一つは、こういうピアノソロ以外の名曲に出会う事なのです。
それから、晴恵さんのピアノの生徒さんが、何組か親子で連弾をしていたのが印象に残りました。私は毎年「陰アナ」のお手伝いもしながら袖から舞台を見ているのですが、お父さんが娘二人に挟まれながら弾く「6手連弾」なんて、後ろ姿がかなり微笑ましくて最高でした。聞けば、お父さんが「やりたい!」と言ってきたのだそうです。
お父さん!娘は一生忘れませんよ、今日の6手連弾の事。よかったね。。


5(木)台風の後の曇天。

先日誕生日を迎え、またひとつ元気に年をとる事ができました。いつも誕生日がくると思い出す事があります。
私の父は、私が29の時に亡くなったのですが、その前の年28歳の誕生日の事です。当時は実家暮らしではなく、妹と二人暮らしをしていたのですが、たまたま友人達と都合が合わず、妹が会社から帰るまでひとりポツンとウチに居て、ヒマだし実家に電話でもしようかな、と思ってかけてみたのです。出てきたのは父親でした。徐々に病気が進行していたために、ろれつがうまく回らなくなっていたけれど、私が「誕生日やのに誰とも約束ないねん。。」とこぼすと、受話器の向こうから「元気に生きてる事だけでええ。」と言って励ましてくれました。私はそのとき、まだ病気の事を全く知りませんでしたから、ただ「親って本当に子供の味方だなぁ。」くらいに受けとめていました。でも今思い返すと、父自身が自分の事をいろいろ考えている時期だったのだなぁ、と思うのです。回りにくくなった舌で、懸命に「おめでとう。」と言ってくれた父。父がいた時、私は父に認めてほしいばっかりに音楽をやっていたような気さえします。亡くなった時、どうしたらいいのかわからなくなりました。誰のために音楽をすればいいのか、と。でも伴奏の仕事をしていたお陰で、父と私だけでなく、その向こうに、多くの人が関わっている事にある日気づいたのです。今でも時々、当時と同じようにコンサート会場の客席のどこかに座って、聴いてくれていると感じる時があります。
私にとって誕生日は、母に感謝し、父の優しさを思い出す日なのです。


10(火)お昼間は晴れ渡っていました。でも今雷鳴が。。

今日、実家に遊びに来ている真ん中の妹とその子供達と母を連れて、お墓参り。強い日差しの中、姪っ子たちとお墓を拭いて、生い茂った雑草をむしり、こちらでのいろいろを報告してきました。
最近のいろいろと言えば、先週の土曜日、ウチに人を招いて宴を開催。合唱を縁として繋がった事を感謝したい、イイ感じのメンバーが集まりました。そして翌朝、朝6時半の新幹線に乗り東京へ。日曜日、ダンナは知り合いのミュージカルの撮影に、私は大学時代の友人shokoさんに会うため、夕方まで別行動。何年ぶりかで会うので多少話題に困るかも、と心配もしていましたが、会った途端に当時のままでしゃべりだし、あっという間に時間が経ちました。彼女は最近、ある有名男性アナウンサーの結婚式に弦楽四重奏の一員としてよばれ、トリで現れた山下達郎・竹内まりや夫妻に「スピーチも音楽も最高!別格!」と、いたく感激しておりました。
月曜日はダンナもフリーだったので、朝から銀座方面をブラッと散歩、14時半の新幹線で帰阪。今回の滞在は短くて気ぜわしかった部分もあるけれど、会いたい人に会えて、食べたかった物を食べ、充実した旅となりました。


14(土)よー晴れてます。

年に何度か、山田家の母娘とウチの母娘で「母娘会」と銘打って食事会をしています。
きのうは山田姫の誕生日でもあったので、お祝いモード満開。高槻駅前の新しいビルの中にある中華料理屋さんで、ランチを頂きました。
ところが、お盆のさなかという事もあり、お昼を食べにくる家族でいっぱい。しかも、90分制限の「食べ放題点心」みたいなランチが大人気で、厨房はてんてこまいらしく、私たちが頼んだお手軽ランチコースのお料理がなかなか来なかったり、まだお料理が終わっていないのに「デザートをお持ちしましょうか?」と言われたりして、だんだんイライラし始めたその時、山田姫の携帯が鳴りました。
お店の外に一旦出て話していた彼女が「ちょっと聞いて聞いて!」と戻ってきました。聞けば、先日東京まで声楽の伴奏でコンクールに行った結果、その人が2位なしの1位を受賞したというのです。素晴らしい!ぶっちぎりじゃん!!彼女によれば、歌の感じが本選に向けて上り調子だったのだとか。人が成長していく瞬間に立ち会えるなんて、しかも、その重要な部分において自分がイッチョカミできたなんて、本当に幸せな事だと思うのです。誕生日に最高に嬉しいニュースを聞く事ができて、その喜びを皆で分け合って、お料理がくるのが遅いなんて事はもうどうでも良くて、本当にいい笑顔の彼女を見ていて、私までなんだか嬉しくてたまらないのでした。


17(火)雨降ってます。涼しくなるかなぁ。

きのう、学生合唱団OBOGと4人でランチ&お茶&焼き鳥&トークに行きました。
彼らが学生の頃から、年齢差の割に不思議と話がよく合う(と私は思っている)ので、居心地も良くて楽しい時間でした。お店は、なんだか知らぬ間に私が選んで案内をする格好になって、まずはマルビル地下の「カンテ」。OB2人は、お昼を食べて来なかったという事で、カレーとケーキと飲み物のセット、私とOGのYちゃんは、お昼を既に軽く済ませていたにもかかわらず、やっぱりカレーとケーキと飲み物のセット(笑)。ちなみにエビカレーは、かなり辛みを抑えた食べやすいカレーでした。その後、阪急のダイニングステージ内「YUSOSHI」へ。ここで私が頼んだのは「ぶどう緑茶」。かなりぶどうの香りが強く、周りに香りが散ってしまい、皆自分が何を飲んでるのかわからん状態だったかも(苦笑)。味は普通の緑茶とそう変わりませんでした。量が多い(マグカップみたいなのに入ってくる)のは嬉しかった!締めは茶屋町の焼き鳥屋さん。
この日は、結構中身の濃い面白い(ここにはちょっと書きづらいほど。。)話を聞き、彼らの学生時代からの成長を目の当たりにし、社会に出て悩んだり頑張ったりしている様子を見て、別に具体的に力にはなれないけど、誰かに話を聞いてほしいと思う時には聞き役の一人でありたいとつくづく思うのでした。それは、学生合唱団に関わっている私の幸せのひとつでもあるのです。


20(金)台風っぽい風がふいてます。

皆さん、見てますか?オリンピック。
私はつい何年か前まで、スポーツに関して全く無頓着でした。オリンピックであれ、プロ野球であれ、ワールドカップであれ、我関せず。まぁ、勿論気にしなくても生きていける訳ですけれども、出会ったダンナが無類のスポーツ観戦好きな事が影響して、今では例えばプロ野球(特に阪神)の中継を見られなかった日は結果が気になって、その後のスポーツニュースを見たり、インターネットで結果チェックしよう、と思うまでになってしまいました。そして今回のオリンピックを迎えた訳ですが、いろいろな競技を見て、その魅力に引き込まれています。
例えば柔道女子52kg級横澤選手の準決勝、キューバのサボン選手に残り1秒で一本勝ちした試合や、卓球福原選手が自分より格上の世界ランキング12位アメリカ・ガオ選手にストレートで勝った試合、場面としては、体操男子団体で金をとって表彰台に上がり、全員で花束を上にかかげたシーンは印象深く残っています。体操の時はアナウンサーも解説者もよかったなぁ!鉄棒の最後の富田選手が着地する時の名アナウンス、
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!!」
は、忘れられないシーンになりました。
メダルとれた人も残念だった人も、本当にたくさんの時間と労力を費やして、精神をも鍛錬し、全てをこの舞台にかけてきたのですもんね。その事にまず拍手をしたい。まだ他にも気になる競技も残っているので、引き続きしばらくは応援と寝不足の毎日かな。


23(月)一日中、雨。。台風です。

土曜日からダンナの実家、多治見に帰っていました。今回長いお盆休みを取れなかったので、月曜だけ休みにして3日間の里帰りです。弟夫婦の所に初めてお邪魔したり、皆でオリンピックをTV観戦して応援したり、岐阜県合唱フェスティバルを聴きに行ったり、金山にある手羽先で有名な「山ちゃん」に行ったり、また盛り沢山な旅となりました。合唱フェスティバルには、保美お母さんが「女声合唱ようせい」団員として一日裏方のお手伝いに行っていたのです。お疲れ様でした。そして客席には、音楽仲間の飯沼さんが岐阜大学コーラスクラブのトレーナーとして聴きに来られていて、演奏後に少し話をしたのですが、いつもと全然違う場所でいつもと同じような話をしたのがなんだか不思議で、一瞬今どこにいるのかわからなくなるような錯覚に一瞬陥ったのでした。


25(水)くもりのち晴れ。日中はまだまだ暑いなぁ。

実はワタクシ、この度一般合唱団デビューをする事になりました。というのも、飯沼さんから「知ちゃんも一緒に歌わへん?」と誘われたのがきっかけなのです。まぁ、その前から、レギュラーで伴奏に行っている女声合唱団の無伴奏ステージなどに、助っ人としてイッチョカミする事はありました。でも始めから団員として所属して歌うのは、今回が初めてです。その練習に昨日初参加しました。最初若干緊張していたものの、メンバーに知り合いがいたり、指揮者が飯沼さんだったりするので、気分がほぐれるのに時間はそうかかりませんでした。まだ音がとれていないパートがあったり、人数のバランスもとれていませんでしたが、「ここから何かが始まる」という源としてのエネルギーを感じる練習でした。


30(月)また台風が接近中。

オリンピックが終わりました。思えば、こんなに毎日夜遅くまでテレビを見たり、あくる朝新しい情報を気にしたり、そんな日々を送ったのは初めてです。ゆうべは、新体操の決勝を観戦(というか鑑賞)、ロシアのカバエバとチャシナ、そしてウクライナのベッソーノワの三人の接戦でした。他の国の人達も頑張ってはいたけれど、運動能力プラスアルファの部分、芸術性というか品格というか、観衆も含めた空間に対する握力みたいなものが、この三人に強く感じられたのです。道具を操っているのだけれど、ノッている時にはまるで彼女たちの身体の延長のようにも見えました。ミスをしてもへこたれない精神力も、若いのにとうの昔に持ち合わせているようです。おとといの各チーム5人ずつの団体の演技もかなり楽しく、次回の北京大会では相当気合いを入れて来そうな、中国チームにはそんな勢いも感じられました。
多くの国から大勢の選手が参加し、メダルの色は様々、またメダルはとれなくてもいい試合を見せてくれた選手がたくさんいました。本当に世界中がその場面に向かって声援をおくった17日間、違う言語だけど同じような事を皆アテネに向かって叫んでいたんでしょう。
「行けー!」「そこだー!」「惜しいー!」「やったぁ!」
オリンピックは、そういう意味でも、貴重な国際的チャンスという訳ですね。参加した皆さんも応援した皆さんも、お疲れ様でした。

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